Masahall Full Stack

マーシャルアンプとリッチー・ブラックモアとジョージ・リンチとスティーブ・ヴァイが大好きなマサハルのブログです。時々こっそりと過去記事を改訂しています。(笑)

祝!50周年 Deep Purple MK-1

1968年といえば私が4歳の頃。
リッチー大先生が在籍したディープパープルがデビューした年です。2018年の今年は50周年のアニバーサリーイヤーになるんですね。

バンド結成が1968年3月、デビューコンサートが4月20日、レコード発売が9月なので、日付はともかく、いずれにしても今年が50周年となります。(偶然ですが、私が今、ES335タイプのギターに惹かれたのも大先生のお導きかもしれません。(笑))

一般的なロックファンであれば、ディープパープルといえば、イン・ロックの第二期以降になると思いますので、あまり知られていない第一期MK-1について書いてみます。
ウィキペディアを参照すれば良いですが、私の持っている資料より結成当時の経緯を簡単にまとめて説明しましょう。

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・1967年、ロンドンにて故クリス・カーティス(2005年没)が「ラウンドアバウト」というポップグループを構想

・カーティスがトニー・エドワーズにマネージメント(スポンサー)を依頼して、メンバー集めを開始
・故ジョン・ロード内定(以下1967年末の事象の順には諸説あります)
・ニック・シンパー内定
・11月、リッチー・ブラックモア内定
・バンドの出資者ジョン・コレッタ(金づる)を確保
・12月、バンド創始者クリス・カーティスがドラッグの乱用で言動の異常が顕著になり、計画は中断するが、カーティスを追い出してロードを中心に継続

・1968年2月、ロード、ブラックモア、シンパーの3人で活動を再開、農場合宿で作曲活動をしつつ、ヴォーカルとドラムオーディションを始める
・3月、ロッド・エバンス、イアン・ペイスが参加し、バンドのフォーマットが決まる!
・プロデューサー、デレク・ローレンスを確保
・テトラグマトンレコードと契約

・4月、トライデントスタジオにてデモテープを製作
・デモテープを元にEMIレコードと契約
・4月20日デンマークで最初の公演
・バンド名をディープパープルに変更
・5月11日~パイスタジオにてわずか3日でファーストアルバムをレコーディング
・9月、ファーストアルバム、シェイズ・オブ・ディープ・パープル、発売

 

ディープパープルは、ラブポーションNo.9などのヒット曲で有名なサーチャーズを脱退したドラマーのクリス・カーティスが、衣類の卸売り業から転身し音楽業界でマネージメント業務を始めたばかりの実業家トニー・エドワーズに新しいバンドの構想を話したことからスタートしました。

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ビートルズ以降、ポップミュージックが金を生み出すビジネスとして注目されて始めていたという状況で、エドワーズとコレッタはまんまとカーティスのホラ話(既にドラッグで精神を蝕まれていた)に乗せられてしまいます。

ディープパープルは、企画先行の投資ビジネスとして始動していた訳で、そこには具体的な楽曲はなく、バンドの核となるメンバー(リッチー大先生、ジョン・ロードイアン・ペイス)も居なかったのです。

普通は、まずアーティストなりミュージシャンの楽曲や演奏があって、レコード会社に売り込んだりスカウトされて契約、デビューとなると思うのですが、ディープパープルの場合はメンバーシップや音楽性は二の次で、実体のないカーティスの構想に踊らされたマネージメント側が主体になって「バンドを作って儲けよう!」というところから始まり、力量のあるプロフェッショナルなメンバーを集めて結成されたという異質な成り行きでした。

さらには、言動異常の発案者を追い出してしまい、寄せ集められたメンバーが「何やる?とりあえず、バニラファッジとかジミ・ヘンドリクスみたいのやってみようか?」的にやりたいことを模索しながらスタートしたのでした。

そんな背景が、その後の音楽性の変遷やメンバーチェンジの要因となったのだと思います。


カーティスが音楽家の集まるアパートに転居して、そこの住人だったオルガン奏者ジョン・ロードと懇意になったことから、バンドは本格的に動き始めます。

カーティスは新バンドの構想(妄想)を熱く語り、雇われミュージシャン生活に嫌気がさしていたロードは意気投合します。ロードによると、カーティスは最初からギターにハンブルグで見かけたリッチー大先生を推していたそうです。ロードが当時雇われていたバンドでベースを弾いていたニック・シンパー(ロードサッチのバンドやセッションワークでリッチーのことは良く知っていた)にその話をすると・・リッチーは素晴らしいプレイヤーだ。バンド結成の際にはぜひ入れてほしい・・ということになり、シンパーが初期メンバー候補として内定しました。

一度はドイツからリッチー大先生を呼んでセッションをしたものの、それ以上具体的に進展しないカーティスの空想的な計画に付き合いきれず、リッチー大先生はドイツに戻り、計画は中断します。しかしその後数か月の紆余曲折の末、ボーカルとドラムが確定し、(まだラウンドアバウトと名乗っていましたが)第一期ディープパープルがデビューします。

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バンドの創始者であるカーティスが一番先にいなくなってしまったので、実質的にディーㇷ゚パープルの創始者=最古参のメンバーはロードという事になります。具体的にバンドが活動を始めた時点で考慮すると、ロードとリッチー大先生の二人が絶対であり、後から入った上に音楽的なアイディアの無いペイスは一段、いや二段以上格下となり、音楽嗜好が合わず脱退したシンパー、エバンスは番外となります。その後に入ってきたメンバー(ギラン、グローバー、カバーデル、ヒューズなど)はいくら音楽的に貢献しても当然格下です。それを考慮すると、頻発したメンバーチェンジやバンドの内紛について理解しやすくなると思います。

ということで、オリジナルメンバーはペイスのみ、音楽的にもロジャー・グローバー、イアン・ギランが主導となっている現在のディープパープルは、結成50周年記念と言ってもあまりお目出たい感じがありません・・・・(あくまでも個人の意見です)

 

本当にやりたいことがはっきりして実力を発揮できたのは、ギランを迎えたインロック以降のハードロック期ですが、そんなメジャーな時期に飽きてしまったマニアが陥るのが、MK-I=第一期ディープパープルの魅力です。

ハードさを秘めたプログレッシブ・ポップロックとでも言えば良いのでしょうか?(笑)
そんな音楽性を考慮するとES335というのはピッタリのギターに思えますし、リッチー大先生のフレーズ、トーンなど味わい深いものがありますね。

ということで私は今、335とDP MK-Iにはまっているわけです。


Deep Purple Shades Of Deep Purple Full Album Remastered Edition 1

 

なおトーカイの335モデルについては別の機会に記事を上げたいと思います。良いギターですよ!

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