リッチー大先生と最初のストラトキャスター その2
※このギターの入手時期が判明したので、別記事にて訂正します。
1968年10月18日、クリームの解散公演の前座をしていたパープルのメンバーは、ロサンゼルスの2日目の公演を見に来たジミ・ヘンドリクスから、自宅でのパーティに招待されています。リッチー大先生がジミとどんな話をしたかは定かではありませんが、それによってよりストラトへのあこがれが強くなったことは間違いないでしょう。
テレキャスネックのストラトを入手した時期ははっきり分かりませんが、当時ツアー中だったため慣れないギターを敬遠したのか、その後1969年1月のレコーディングからスタジオで使われましたが、その後Jロードに壊されてしまったため(真偽のほどは定かではない)、ステージで使われることはなかったようです。
こちらは1968年(恐らく12月末)の最初のUSツアーのバックステージの写真ですが、背後にブラック/メイプルのストラトが置いてあります。詳しくは「RBギターズ」に書いてありますが、68年の12月のニューヨーク公演の合間に「マニーズ」で入手した可能性が高いということでした。ということはテレキャスネックのストラトとあまり違わない時期に入手したことになります。しかしこちらも不慣れなせいか、使われるまで(使いやすいよう改造されるまで)しばらく時間がかかりました。
※以下完全に妄想です。くだらない冗談が嫌いな方は飛ばしてください。
1968年10月18日、リッチー大先生はジミの自宅パーティに誘われて、ギター談義で大いに盛り上がっていた。
「・・・ところでジミ、あなたの最新型のストラトキャスターは実にカッコ良いですね」
「デカいヘッドにメイプル指板がイカしてるだろ。あれはオーダーしないと手に入らない仕様なんだ。俺はマニーズって店で買ったんだが、そこにあるかもしれないな。NYに行ったら寄ってみな」
この時、一緒にパーティに呼ばれていたクリームのEクラプトンは、会話から取り残されてこう思っていた。
(・・・畜生!俺の方が先にジミと知り合いだったのに、ジミに気に入られやがって・・・無名の前座のクセにステージでGODクラプトン様をコケにしやがって・・・リッチーなんか大嫌いだ・・・サポートから降ろしちゃおうっと・・・)
さて翌日、大先生はマニーズの番号を誰かに調べさせて電話。
「はい!毎度おおきに、マニーズです~!」
「ハロー、Mr.ジミ・ヘンドリクスに聞いたのだが、そちらにヘッドがデカいメイプル指板の新しいストラトキャスターはあるかい?」
「(お前誰だよ?)・・・はい、ヘンドリクスさんと同じ黒いのならありまっせ」
「わかった。そいつを買うよ。私はディープ・パープルのリッチー・ブラックモアだ。後はこいつと話をしてくれ。おいジェフあとは頼んだぞ」
ジェフ・ワード(ツアーマネージャー)
「私はテトラグラマトンレコードのジェフ・ワードと言います。そのギターですがうちのMr.ブラックモアがどうしても欲しがっているので売っていただきたいのですが
・・・(商談成立)・・・
では2か月後にニューヨークに行くので、その時にピックアップすることにしましょう」
「毎度おおきに~」
「・・・ブラックモアさん、ということで12月にNY公演があるのでその時に引き取りに行くことになりました」
「なんだと?!2か月も待たせる気か?このxxxx野郎!役立たずめ!!まったく腹立たしい」
「ツアーで常に移動しているから、送ってもらっても、タイムリーに途中で受け取るのは難しいんですよ」
「知ったことか!私はすぐ欲しいのだ!だが仕方ない・・・(そういえばエリックがテレキャスネックを付けたストラトをローディにくれてやったと言っていたな・・・)」
早速クリームのローディ、ミック・ターナー氏を捕まえて難癖をつける大先生・・・
「おいお前、テレキャスターのネックが付いたストラトを持っているんだってな?」
「あぁ持っているよ。エリックからもらったんだ。でもネック反ってるし、オクターブ合わないし・・誰かに売ろうかと思ってる」
「そうかでは私が貰ってやろう。どうせタダで手に入れたガラクタだろう?」
「おいおいタダは勘弁してくれよ」
「では仕方ない、ジャンクだが50ポンド出そう、それでどうだ?」
「・・・ノークレーム、ノーリターンでお願いします(泣)」
格安で強奪したギターは確かに弾き難く、すぐライブで使うことはできなかった。
その上、2日後のサンディエゴのスポーツアリーナでの公演を最後に、ディープパープルは突然契約を破棄されてクリームのサポートは終了となった。
その2か月後NY公演の合間に、マニーズでブラック/メイプル指板のストラトを入手するも、やはりRが大きなツルツルのメイプル指板に慣れるのは難しく、まずは「III」のレコーディングではローズウッド指板のテレキャスネックのストラトを使うことになったのであった。